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元 熙(げん き、? - 520年)は、北魏の皇族。中山文荘王。字は真興。 == 経歴 == 中山王元英の次男として生まれた。長兄の元攸が早くに亡くなったため、世子に立てられた。学問を好み、文才もあったが、軽薄で浮ついたところがあったため、元英は元熙を廃して四男の元略を世子に立てようとしたが、一族の議論で反対が多く、元略も固辞したため、断念した。元熙は秘書郎を初任とした。513年(延昌2年)、中山王に封じられた。将作大匠に累進し、太常少卿・給事黄門侍郎に任じられた。まもなく光禄勲に転じた。平西将軍・東秦州刺史として出向し、安西将軍に進んだ。516年(熙平元年)、入朝して秘書監となった。神亀初年、安東将軍・相州刺史に任じられて出向した。 520年(正光元年)7月、劉騰と元叉が皇太后の詔と偽って、清河王元懌を殺害した。8月、元熙は劉騰と元叉を除くために起兵したが、部下の柳元章・游荊・李孝怡らに捕らえられた。元叉の派遣した尚書左丞の盧同に鄴の街で斬られ、首級は洛陽に送られた。 525年(孝昌元年)、王爵を追復され、使持節・都督冀定瀛相幽五州諸軍事・大将軍・太尉公・冀州刺史の位を追贈された。諡は文荘王といった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「元熙 (北魏)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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